エンゲージメント=「参加」

Authored by 井手 寛暁, 組織開発ダイレクター, パーソルコンサルティング 中国

a group of people holding up their hands in the air

エンゲージメントとは?

前回のコラムでは、エンゲージメントの効用についてお話をしました。エンゲージメントが高いと現地の経営人材が活躍しやすい職場環境が生まれることについて、具体的に職場で起こりそうな出来事を取り上げてお話をしました。実は、ここまで敢えて触れずに来たのですが、「エンゲージメント」と言う横文字、この定義は置き去りにしてきました。

実は、「エンゲージメント」という言葉は、人によって様々に解釈されます。「帰属意識」、「愛社精神」、「会社貢献度」、「やる気」、「主体性」、「自分事化」、、、ときりがない。一昔前に日本でもてはやされた「社畜」という言葉を持ち出す方もいらっしゃるほどです。日本語に翻訳しきれていないが故に、横文字の「Engagement」がそのまま使われていると考えると、どれも少し違う感覚です。では、「Engagement」を辞書で引くと何と書いてあるでしょう。辞書を引くまでもなく思い当たるのが、「婚約」です。婚約時に贈る指輪は「Engagement Ring」と呼びますね。一方で、マーケティングの面で見ると、「広告などの各種マーケティング活動において、顧客の興味や注意を引きつけ、企業と顧客の結びつきを強めること(デジタル広辞苑)」、「ブランドに消費者が積極的に関与することで構築される、ブランドと消費者との間の絆のこと(ブランド用語集)」とあります。個人的には、この意味合いが、社員の「エンゲージメント」と言う際の意味合いに近いと思っています。ここから拾えるキーワードは「双方向」です。「企業→顧客」、「顧客→企業」の双方向性でコミュニケーションが行われ、お互いにブランド価値を高めている様が伝わってきます。つまり、「エンゲージメント」とは、本来、社員から会社に向けての矢印の話ではなく、会社から社員に対しても矢印が向いていなければならないのです。私は、過去のセミナー等では、苦し紛れに、エンゲージメント=「組織・個人がお互いの成長・成功に向け本気で行動している関係性」と述べていますが、双方向こそが鍵だと思っています。鶏が先か卵が先かの話になりそうですが、社員のエンゲージメント向上を待っているだけではなく、会社からも社員に対してエンゲージメントをしないといけないということなのでしょう。この辺り、反省点が垣間見えてきそうですね。

コミットメント、モチベーション

「エンゲージメント」と同時に、「コミットメント」、「モチベーション」という言葉も良く聞かれます。(横文字ばかりとなり恐れ入ります。)エンゲージメントはコミットメント、モチベーションと置き換えてはいけないのでしょうか。私が普段お話しているのは、「エンゲージメント=コミットメント+モチベーション」です。「コミットメント」は、「●●しなければいけない。」という使命感、場合によっては義務感です。一方で、「モチベーション」は、「●●したい」という前向きな意欲、好きという肯定感情です。この二つが合わさって、肯定的に本気で行動している状態、つまり「エンゲージメント」の高い状態なのではないかと考えています。

エンゲージメント=参加

もう一点、しつこいようですが、エンゲージメントの定義の話を。以前に、文学者の内田樹先生の書籍を読み、哲学者ジャン・ポール・サルトルの解く「Engagement(アンガージュマン)」という概念に触れました。実存主義の代表格サルトルの弁を内田先生はこう説きます。「参加」と。サルトルの訴える「参加」は、「自身が置かれた時代で、責任をもって自ら主観的に決断・行動し、自身が何者であるかを突き詰め、世の中に参画していく行為」といった具合。この時代・世の中を「組織」に置き換えるとエンゲージメントの高い社員のイメージがより立体感を持ってくるのではないでしょうか。
そもそも、なぜ日本には「エンゲージメント」の概念にはまる言葉がないのでしょうか。生きていく上で必要がなかったか、時の為政者が望んでこなかったかということだと思います。あうん、村八分、集団意識、、、いわゆる共同体社会、「お友達と仲良く」と子育てを行う社会で、個を突き詰める、ぐいぐいと行 動する、「Be yourself」である必要性が薄い、あるいは望まれない社会だったのかもしれません。一方で、数は少なくとも、日本という国にエンゲージした個人が躍動した時代は、時代の転換期だったように感じます。平安末期から鎌倉時代、幕末の偉人たちを思い浮かべると、すんなりきます。

足下の日本株式会社、日系企業の現地法人で求められるのは、この「参加」の「エンゲージメント」なのではないかと思います。では、この種のエンゲージメントの本質とは何なのでしょう。次回はこの辺りに触れたいと思います。